東北地方太平洋沖地震について


東北地方太平洋沖地震の発生
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と、それによる津波は東北地方に甚大な被害を与えた。
仕事の関係で音楽関係者と丁度電話で話しをしていたので最初は地震に気付かなかったが、大阪でも大きく揺れた。

地震と言えば個人的には阪神淡路大震災を思い出す。
僕はその日、神戸の岩屋に仕事の打ち合わせに行く予定があったが、未明の地震によってクライアントに連絡もできずに同然のように中止となった。
結局打ち合わせができたのは、地震から一週間後のことだった。
列車から途中バスに乗り換え、崩れかけた橋を渡ってたどり着いたことを覚えている。
地震から暫くは入り組んだ地下や高架道の横などは怖くて近寄れなかった。
15年以上経った今でも、地下の居酒屋や古いホールなどはあまり長居したくない場所となっている。
そう、家を買ったときも、耐震構造と防火性という2点だけは必須の項目だった。

今回の東北地方太平洋沖地震はマグニチュード(Mw)9.0という、阪神淡路大震災とは比べ物にならない規模の大地震だ。
多くの港町では地震後に直ぐに押し寄せた津波によって多くの命が奪われ、不明者も含めたその数は今も増え続けている。
町や村がそのまま消えてしまえば、一体だれが行方不明になっているのかさえ分からない。
昨日までは平和だった町も地震によって全てが変わる。地震はほんの短い時間の出来事だが、その瞬間に全てが変わってしまうのだ。
今でも助けを待つ多くの被災者が、孤立した村や町にいるだろう。
津波によって流された人も多いだろう。
地震からかろうじて生き延びた人達でも、孤立し暖房や食料も無く医療もままならない現在の状態では、今後命を落とす人も多いだろう。

地震は同時に福島の原発にも大きな被害を与えた。現在も懸命な正常化への作業が続けられているが、予断を許さない状況だ。

Twitterの効能
やはりTwitterの情報即時性には目を見張るものがある。
現在最もすばやく情報を流したいのであればTwitterによる方法が最善かもしれない、が、、Twitter情報の80%は単なる自己満足とスパムの情報の垂れ流しだ。
個人的にはすっかり落胆させられたといっても良いだろう。
実際、くだらない情報を撒き散らすFollowingを何人か削除した。

Twitterを流れる情報の種類は大きく分けると、「応援型」、「評論型」、「情報提供型」がある。このうち「応援型」は大きな問題を含んでいないと思われる。

実際、熱い応援には感動と勇気が得られる。
「評論型」は適切、不適切に関わらず意味の無いものだ。(もちろんこのブログ投稿も評論型なので意味は無い。)評論がたとえ適切であっても被災者の支援や救助に反映されない限り意味は無い。
最後の情報提供型は殆どが害にしかならない。
非公式の情報は公式で重要な情報を埋もれさせるだけだ。 今回多く見られたのは、節電、放射能関連のツイートやRetweetだった。中にはイソジンを飲んで甲状腺癌を予防するという話まで現れた。
イソジンに甲状腺癌を防止する効果があるのかは知らないが、ヨード摂取は被爆後直ぐに行わなくてはないらしい。
たとえイソジンに効果があるとしても、一般人が被爆したことを知る方法が無いのに、どうすれば摂取するタイミングを知ることができるのか。
Twitterの良さはフィルタリングの無い即時情報性だが、災害時において正確性を必要とされる情報には今後問題点が残る。

発言だけ免罪符を得る行為。
世の中の様々な事象に対して意見や感想を持つことは大切だが、行動を伴わない思考や発言は100%の自己満足でしか無い。
何かに対して意見を言ったことで、何かをしたような気分になる。このような行為は無力な自己に免罪符を得る行為でしかない。
現在ではインターネットを利用した情報発信には様々なサービスがあり、個人がより簡単に情報を発信することが可能となった。
個人的には情報発信は完全に自由で、制限されるべきものでは無いと信じている。
しかし、その自由な情報発信の場の中で、間違った情報が淘汰され、正しい情報が広がる仕組みは生まれ無いだろうか。
何か方法があると信じている。

東北地方太平洋沖地震の悲劇は始まったばかりだ、被災者の苦難はまだまだ続くだろう。
今の僕にできることは?
余り思いつかないが、一先ず無駄口は止めて、献血にでもいこうか。。

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