新資本主義から生まれた新奴隷制度
先日、本屋で偶然「貧困大国アメリカ」堤 未果 (著)という本を見かけて、タイトルから衝動買いした。
この本、中々素晴らしい内容で、現在のアメリカと日本(世界)の将来を強く暗示した内容が記されている。
何よりも驚いたのが、先日ブログに書いていた「振幅が急激に小さくなること=フラット化=コスモス」の結論の一つが提示されていた点だ。
私自身はインターネット・テクノロジー(情報網)の発展により社会の振幅は急速に小さくなると考えている。そしてこの振幅の影響はよりネガティブな面で世界を変化させてゆくと考えているが、その結果がどのような形として吹き出して来るのかが解らなかった。
しかし本書「貧困大国アメリカ」にはその結果が記されていたのだ。(著者が世界のフラット化と意識して執筆したとは思えないが・・)
奴隷制度といえば遠く、エジプトやローマ、近代では南北アメリカの時代のことのように思ってしまうが、現在の世界でも奴隷は存在する。もちろん過去の奴隷制度のようにものではない。
奴隷とは鎖で繋ぎ、労働を強いるだけが奴隷ではない。
現在の奴隷は二極化した社会の底辺の側にいる者が、生きるために避けることのできない選択として、低賃金で従属的に働かされ続けることを言う。
アメリカは建国時から奴隷制度を持っていた。国家の発展にアフリカから強制的に連れてきた黒人奴隷を社会発展の労働力として利用していたのだ。
表向きは、リンカーンの奴隷解放によって収束するが、その後も奴隷的な地位が向上すること無く、アメリカ社会の中で恒常的な低所得の労働者層として存在し続けている。
本書では現在アメリカで起こっている様々な民営化が、低賃金化とワーキングプア、社会の二極化を進め、巨大企業の都合の良い労働力として利用されている様を数字を追って紹介している。
また、このシステムはますます大きくなりグローバル化していること。底辺側(貧困層)は特別でも小さなものでなく、今までは失業やワーキングプアとは無関係だと思われていた高学歴な者までもが転落している事実を紹介している。
共産主義の崩壊と共に米国を中心とした新資本主義は新たな奴隷制度を手に入れつつある。
小さな政府と公共サービスの民営化、自己責任と言ったキーワードは社会を二極化し、底辺にいる者を経済的に這い上がれないシステムに閉じ込め、合法的な契約の元に搾取する社会拡大させる。
この流れははWEBの発展とは切っても切れず、世界的な情報通信網が存在したからこそ可能となったシステムだ。
性質の悪いことに私達も「落ちこぼれないように」「負け組みにならないように」「ネットカフェ難民にならないように」“努力”しようと考えてしまう。
しかし、この現状を肯定した思考こそが「新奴隷制度」を肯定し、支えることになる。
スターやスポーツ選手、企業用CEOの莫大な報酬を目にして、アメリカンドリームや努力への当然の報いだと納得し憧れてしまう。しかしこれは間違いである。どのような理由があっても桁違いの資本を個人が得るべきでは無いし、その行為は犯罪的とも言える。
新資本主義から生まれた新奴隷制度は世界を蝕んでゆくだろう。