オリジナリティと盗作と

イラストを描いていたり、ブログに文章を書いていると、著作件や盗作の問題に敏感になる。
これは誰かが自分の作品を拝借していたり、無断使用しているなどの問題ではない。他の人が私の作品を利用することには、個人的にはあまり気にならないのである。
私がこだわっているのは自分の作品のオリジナリティ性である。
私自身は純粋にオリジナルな作品はこの世に存在しないと思っている。
しかし、これは純粋に理論上の話であり、その理論を踏まえた上で多くの制作者はオリジナリティの追求に力を注ぐ。
作品とは必ず何かの影響を受けている。それを十分に噛み砕き消化することと自分頭の中で時間をかけて熟成させることによってオリジナルなものへと近づけてゆくものである。
デザインや美術系の教育現場では安易な学習方法として「まず、好きな作風を真似する」ことを推奨している。
言葉で合理的に伝えにくい、いわゆる感性の世界では完成品を模倣することによってその特性を体得する手法である。
この方法にももちろん合理的な理由もあるし、効果も期待できる。
しかし、真似をするとそこから脱却するのに、非常に苦労することも事実である。
真似することは麻薬に近い効果を持っている。
特に初心者が真似すると、その成果物が本来の自分の感性や技術だけで完成したものと誤解してしまう。
以前なら、真似するにもかなりの努力を必要とした。
ダビンチやレンブラントのデッサンを真似するにはそれなりの時間と技術を要した。
気に入った作品を真似するためには巨匠と呼ばれる人たちの技術をも習得する必要があったのだ。
カラバッジョやレンブラントの陰影を観察しダビンチの技法と先駆的アイデアに脱帽して、必死にそれらを習得しようと真似をする。
そう、真似することも、大変だったのである。(私自身はカラバッジョに大きく影響されている。)

しかし、現在はデジタルなコピペの時代となった。
コピー&ペーストは新たな文化や表現、芸術を生むと思っているが、反面その安易な手法のため、単なる模倣や盗作も増える。
以前ならコラージという芸術分野は存在したし、確かに芸術でもあったと思う。
しかし、現在ではコラージはビデオクリップのオシャレな表現方法としてしか存在しえない。
フォトショップやSkechBookProなどのデジタルソフトは非常に安易に描画が可能である。
インターネットで気にいった作品を見ながらも資料写真を横に表示し描画する。色が解らなければ、スポイトツールで直接調べることも可能である。
時間をかけずに生んだ作品に理念はなく、そこには作品として最も大切な“訴え”が欠如する。
現在では、「模倣する練習方法」は危険なのである。
(個人的には「模倣する練習方法」は15?16歳までに止めた方がよいだろうと思っている。)

表現者にとってオリジナリティは非常に大切である。
それは作品そのものよりも大切な意味を持っている。
私はオリジナリティある作品を作る方法を知っている。
それは、
・上手く作ろうとしないこと。
・他の作品を見ないこと。
・制作に十分に時間をかけること。
・考えること。
これらのことを常に心がけ、私自身も常にオリジナリティを追求している。

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