「5%の世界」
「FREE」や「フラット化する世界」は社会の劇的な変化を予測している。
簡単に言えば「FREE」は全てのコンテンツが無料化に向かうことは必然で、そこにはどのようなビジネスモデルが存在しているかを説いている。
「フラット化する世界」はグローバル化した社会を描いている。
究極のフラット化した世界では多くのコンテンツがFREEに供給される。
社会がグローバル化しているのだから、生産はコストは最も安い賃金にシフトする。
デフレスパイラルなどとは言っていられない。
知らない間に国境は無くなり、法的な最低賃金以下で生産可能な地域へ仕事はシフトする。
多くの日本人がしがみ付いている「モノづくり国家ニッポン」という砦は中国やインドにあっという間に崩されるだろう。
コンテンツがFREEに供給された世界での単純なビジネスモデルには「広告」がある。
そのうちユニクロは「広告付き470円ジーンズ」を発売するかもしれない。
しかし、インターネットにおける広告収益モデルは、米国では限界に来つつあることも事実だ。
広告供給が過剰になり、広告効果も以前程は期待できない。
FREEというキーワードにはもちろん「広告」も含まれているのだから、「広告」そのものに対する価値も下降の一途だろう。
そのため、米国ではコンテンツやサービスの有料化が検証されている。
無料によるビジネスモデルや利益に結びつかない過剰供給された広告ではコンテンツ供給の生産さえできないからだ。
しかし、単純な有料化モデルは成功するのだろうか。
FREEに慣れたユーザーが有料化をどのように受け容れるかが問題だ。
コンテンツプロバイダという企業の今日杞憂するのコンテンツそのものは個人が生産したものも多い。
インターネットが個人にリーチする社会である以上、その取引も個人取引が理想的な形だ。個人取引画可能となった世界ではマージンが理想的に極小化する。「5%の世界」が出現するのだ。
P2P社会の理想
P2Pは使い古された化石化したキーワードだが、現在、それを実現するためのツールが本当の意味で揃い始めたのかも知れない。
情報が個人でグローバルに取引可能な社会では、マージンは最極小化する。
これこそフラット化した社会で、そのような社会では個人が本当に必要とする“商品”以外はFREEとなるだろう。
有料化すべき物とFREEになる物の基準は簡単である。
公共の場に存在し、且つ特定の人にその価値が認められるものは有料化し、それ以外の物は全てFREEとなる。
このため、同じものでも、ある人には“有料”で、ある人には“無料”などという奇妙な状態が現れるかもしれない。
本当の意味で個人間取引に必要な要素は1.物流の整備、2.代金の回収の整備、3.取引に係わる保証、4.開かれた仲介の場、5.適切な広告手段の5つである。 (デジタルコンテンツに、1の要素は必要無いが。)
- 物流の整備
実態のあるものを販売するには、物流システムが重要である。過去10年以上のインターネットショッピングの発展は宅配会社を含めた物流システムを劇的に発展させた。配送スピードは既に十分だが、更なるコストダウンが必要だ。また、有価証券や信書の配送を可能にするなど、法律の整備も不可欠。「送れない物を無くす」ことが重要。
個人間の取引では、バーター配送 など配送方法のバリエーションを増やす必要がある。 - 代金の回収の整備
クレジットカードを中心とした代金回収は良く整備されているが、個人間取引で扱うにはまだまだ整備不足で普及もしていない。Paypalのようなシステムが普及すれば大きな障壁は解決するが、マイクロペイメントや未成年者が簡単に支払い可能な方法などの幾つかの課題の解決が不可欠。 - 取引に係わる保証
安心できる個人間取引では保証問題を解決するための機能が必要不可欠だ。 相手が実在するしないに係わらず、取引したコンテンツが保証されなければならない。貿易で言えばB/LやL/Cのようなものに無条件の保証を付けて、簡易にしたような感じ。現在も存在するがさらなる整備が必要。 - 開かれた仲介の場
インターネット上のショッピングモールはこのイメージに近いが、そこには決定的な違いがある。 今後、販売者をまとめるポータル的なサイトは不要である。各機能がモジュール化することが理想だとすれば、もしかすればそれはブラウザやプラットフォームに依存するものになるかも知れない。
この部分はFREEになるべきだろう。 - 適切な広告手段
広告が無くなることは無いだろうが、多くの広告はFREEになるべきだろう。
価値ある広告は“有益な情報”となり有料化するかも知れない。日本は米国より3?5年遅れている。あと3年程度は広告依存のインターネットサービスも大丈夫だと思うが、次に来るものは何か?
「5%の世界」の利益追求は高度なシステムを必要とするかも知れない。 現在の金融商品のように一見するとどこで利益を上げているのか分からないような手法だ。しかし、それは単に分かりにくいと言ったレベルでは無く、外部の人間には本当の意味で分からないという状況が生まれるのかも知れない。