9/11 危機百発!

今日は9月11日。
もちろん2001年に世界が驚愕した911テロの日だ。

もちろん、もちろん。この日のことは今でも鮮明に覚えている。
この時、私自身が抱いた感情は残念ながらテロに対する「怒り」ではなかった。それはテロリストに対する「悲しみ」、人や社会をそこまで憎む「悲しみ」や「哀れさ」と、もちろん殺された人々に対する「悲しみ」だ。 テロリスト決してイスラム圏で偏向した教育だけを受けた、特別な人々ではなかった。そんな彼らを行動に走らせたのは何故か。
18世紀より次第に膨れ上がったイスラムの西欧に対する「憎しみ」なのか。

私自身は「テロ」という言葉には反対だ。他に適切な言葉が見つからないが、「テロ」という言葉を使うと、それはごく一部の政府に憎しみを持つ犯罪者、異常者の集団に聞こえる。しかし本質はもっと根が深く。特異な反社会的犯罪者集団として彼らを分類すると判断と対処を誤るだろう。
日本政府は「テロ特措法」などと問題の根本解決にもならない法案を通し、アメリカに迎合しようとしている。少し昔、IRAのテロがアイルランドや英国内で次第に影を潜め、今では映画の題材にもならなくなったのは何故か。その経緯に学ぶことも無く力だけに頼っている。

100歩譲って、全世界のテロリストの頭の上にピンポイントで爆弾でも落とせるのならば、現在の米国を中心とした対処方にも賛成するが、そのようなことは所詮無理なことだ。ベトナム戦争時に枯葉剤でジャングルを不毛にし、ゲリラを燻り出そうとした米国は未だに同じ思考と戦法をとっている。
相手がゲリラからテロリストの方に代わっただけか、かつてゲバラは「ゲリラ戦争」の中で(だったと思うが、)「ゲリラ1人は正規軍人20人に匹敵する」と言っていた。
彼の言葉を借りれば、一人のテロリストは今や数千人、数万人の民間人を一度に殺すことができる。IRAの時代はちょっとした時限爆弾を使って、偶然通りかかった不運な人を殺すに過ぎなかった。
9/11テロでは航空機の乗客とビルから逃げ遅れた人々、勇敢な消防士だ。イラクでは多量の爆薬を積んだ車で自爆テロだ。

9/11の頃の世界は、ようやくインターネットのインフラが整い出した時だが、今や世界のインターネット網は様々な情報を有機的に繋いでいる。アルカイダが自分達の主張を世界に発信することも自由だ。その情報に触れた西側生まれの若者がアルカイダの思想に共感するとしても不思議ではない。
分けの解らない新興宗教ですら数万人の信者を抱える時代だ。国家や部族や民族と宗教をバックグランドにする集団に心酔する者が現れてもおかしくない。
インターネットは情報のネットワークだ。そこには拡散した武器の製造や生物工学情報が山のように利用されるのを待っている。自爆テロを行うほど「度胸」のある者がそれらの情報に手を伸ばさないとなぜ言えるのか。
イラクで大量の兵員と資金を投入している間に、大学で培養した細菌を体にまとい、街に出かける若者が現れないとは限らない。そんなテロは誰にも止められない。アルカイダが組織的にバイオテロを企てたら、、いったいどうやってそれをとめることができるだろう。今年は大丈夫でも10年後はどうか。
DNAの操作や合成が今より更に簡易になり、鳥インフルエンザウィルスをどのような薬も効かない耐性菌に作り変えたらどうなるだろう。
私でも想像に難くないことを、彼らが考えないと誰が言えるだろう。そして言えるだろう。彼らはそれをいつか実行するだろう。何故そう言えるか。もし、私が頭の上から爆弾を浴びせられ、自分の親や子供がばらばらになって死んでゆく姿を見たテロリストなら、きっとそうするからだ。
だから、憎しみは連鎖させてはいけない。
これは、人道的な感情だけで言っているのでは無く、現実的な戦法としても、もはやちょっとした重火器で自慢気に戦っている時代は終わってしまっているのだ。

残念ながら米国や日本政府内には想像力が豊かで現実的な思考を持ったこのような主流派にはいないうだ。
まだまだ、世界の危機は続きそうだ。

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