『土人』と呼ばれた沖縄県民
言葉というものは非常に不思議なもので、人間の思考の根幹を構成しているものだと思う。
つまり、言葉が思考をや自我を作るのであって、言葉の無い思考はきっと非常にあやふやでうつろいやすく抽象的なものなのだろう。
記憶においても言葉は思考のスタックそのもののであって、脳の中で整理される実態に他ならない。
だからこそ、人は他の人のほんの些細な言葉に影響を受け、喜び、傷つく。
私自身、インターネットで最も大切な要素はテキストだと考えている。
それは例えばW3Cが策定する全ての基本的ルールがテキストエディタと記述に関するルールー付けに始まったように、今も昔もテキストそものなのだ。
映像や音楽は抽象化され記憶に残るが、言葉(テキスト)はその意味を具体化したまま人に伝わり、記憶やインターネット上のアーカイブへと残る。
この文章を読んでいる人は日本語が解り、各単語の意味も理解している。
そして重要なことはそれぞれの単が持つ意味も、多分私が想像している想定内で同じ意味として理解している。
私が若いころは『土人』は一般的な言葉だった。
個人的には差別的なイメージは無かったが現在の言葉に変えると『未開で野蛮な土地の人』あたりの意味か。
私自身のイメージとしては『未開な島の人』のイメージだ。
多分これはスペインやポルトガルの大航海時代の挿絵あたりから来ているのかもしれない。
その後この『土人』と言う言葉はいつの間にか聞かれなくなり、もちろん日常生活でも使う機会は無いためすっかり忘れられた言葉だった。
そんな言葉を若い機動隊が使った聞いた時、最初に思ったのは、
『おいおい、今時そんな言葉使うか、、』と少し笑ってしまった。
そして次には、
『使い方間違ってるやろ。沖縄の人間は土人じゃないやろう。』という思いだった。
今ではレガシーとなったこの言葉を使ったということは、彼は日頃の環境(家庭や職場、友人関係)でこの言葉に接する機会が多いのだろう。
(ちなみにこのレガシーという英語は個人的にはあまり良いイメージは無い。なぜなら私が最初にこの言葉を言葉として使い始めたきっかけは、『レガシーシステム』や『レガシーデバイス』といった古くて役に立たない、しかも残っているものといった意味が最初だからだ。)
『土人』という言葉の本来の使い方が差別的かどうかは別として、彼がそのような環境にいたこと、言葉に特別な意味を持たせて使ったことは事実のようだ。
ちなみに、大陸を発見したコロンブスは大量の原住民を虐殺し奴隷とした。
武器や所有の概念の無い彼らはたやすく利用され殺された。
未開で野蛮なスペインやポルトガルの土人によって幾つもの先住民は絶滅した。
私は日本はまだ間違いを改めることが可能だと信じているが、松井知事やその他の呑気な日本原住民は理解していないようだ。