『ロータスが騒音発生装置を開発…エコカーは静かで危険』という記事を読んだ。

何でも、エコカー(ハイブリッドや電気自動車など)は静かで、車の接近に気が付かない視覚障害者との間で事故が多発するらしい。
そこで英ロータスエンジニアリングがわざわざ騒音を出す機械を開発した。同社CEOは「車の最低騒音を法令で定めるべきだ」とも語っているらしい。

しかし、まてよ、、これは如何にも正しいことのように思われるが、この考え方は何処までいっても自動車中心の発想だ。
つまり、『歩行者さん、車が接近しているので気をつけてくださいよ、、避けてね!』的な発想なのだ。
これは現在の車社会では仕方の無いことで、車と喧嘩すればたいていの場合、歩行者が負けてしまう。そのためどちらが社会の主であるかという本質的問題は別としても弱いものは道を空けなければならない。

しかし、本来、社会は人間が中心のハズ。今流行りのエコ社会がもっと前進すれば人間中心の考え方は更に広まるだろう。少し未来には車が人に注意して、道を譲らなければならない時代が来るかも知れない。

海外(車先進国)を訪れると日本の車の暴力的な走行に気が付かされることが多い。映画のカーチェイスのイメージが強い米国でさえも、実際には幅の広い道を歩行者が渡ろうとすると、車がすぐに停車してくれるのだ。
随分と昔にオーストラリアを訪れた際、シドニーの中心街の横断歩道で赤信号待ちをしていると、多くの歩行者が信号を無視して渡り始めた。同時に人の間を車がゆっくりと割り込んできた。(もちろんこの車は青信号を守って走っている)
その時、渡っていた歩行者の何人もが(OLやビジネスマン風の人)その車をバッグで叩いたり蹴ったりし始めた。
僕は大きなカルチャーショックを受けた。
一人、ポツンと信号を守っている自分に気付き、随分と面白くないヤツだと自分にあきれたものだった。同時に人間が中心であるということはこういう事なのかも知れないと気付かされた。 (信号無視をしていた歩行者がそこまで確固とした信念を持っていたのかは分からない。)

日本の国民の多くが思い違いをしていること、、日本はインターネット大国である。日本は経済大国である。日本の携帯は世界一。日本人の一般的な芸術レベルは高い。日本人は車の運転が上手い。マナーが良い。等々。。

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